ひとりびとりのこと - 元ひめゆり学徒隊 宮城喜久子さん講演会
2010-12-19


禺画像]
リバティおおさか(大阪人権博物館)で開催中の「ひめゆり 平和への祈り」展と「ひめゆり学徒隊」の生存者で、ひめゆり平和祈念資料館副館長の宮城喜久子さんの講演会に参加した。

どんな集会や講演会に行っても、今日は良かった、と思うけど、近年今日ほど、来れて良かったと思ったことはない。

宮城さんのお話は、ご自身が九死に一生を得た沖縄戦の終盤、仲間とともに沖縄本島最南端の荒崎海岸の岩場に追い詰められた現場から始まる。さっきまで「怖いね〜」と話しをしていた友人3人が米兵の自動小銃の乱射に遭い即死、10人が手投げ弾で自決した中で生き延びられた。血まみれの先輩を抱きかかえてきた米兵が救命しようと懸命に止血する様子や、ご自身にも「毒はないから水を飲みなさい」と促されて「(米兵は酷いことをする)聞いてたのと違う」と気づく。

戦後の約40年は当時を思い出すのも辛く、まして語ることはしなかった経緯、行動しはじめたきっかけ、そして回想・・・ひめゆりの楽しい毎日から、次第に軍事化されていく学校の様子、動員、戦場での日々、を話され、最後に、また荒崎海岸の現場に戻っていきました。

90分では話し足りないそうだが、その90分で伝えたいことを精一杯詩集約してお話されていた。もちろん、メモなどもない。直立不動でまっすぐ会場に向かってしっかりと話された。82歳。すごい。話し方には抑揚やめりはりはないけど、そんなもの必要ないのだ。話のすべてが本当なのだから。参加者もおそらく同じ思いで90分間、集中して宮城さんの証言に聴き入っていたと思う。証言の内容は悲惨すぎるのに、宮城さんの穏やかではっきりとしたお話を聴くのにはある種の心地よさがあり(すみません)、ずっと聴いていたい感じだった。90分集中させられたのもすごいこと。

五感についてなら、目撃された多くの悲惨な様子、「目が痛い」と訴えた学友の両方の眼球が飛び出していたこと、自決した学友の肉片が飛び散っていたこと、血の混じった井戸からくんで飲んだ水の味、「ヒュー、ヒュー」と飛んでくる砲弾の音も次第に距離感がわかり危険さが察知できるようになったこと、深夜、負傷兵の傷口からわいた蛆が人肉を喰う音、病院壕の中の死臭、膿、汚物、糞尿の息も苦しい臭い。栄養失調になった学友をかついてさまよい歩き続けたこと、その重さ、負傷兵の包帯を換える時、包帯を皮膚から剥がす感触、後に列をなす患者のために早くすませるのが大変だったこと、等など・・・。

戦争は人間が人間でなくなる、とはよく聞くけれど、宮城さんは「女の子が女の子でなくなるんです。心も体もぼろぼろ、生理もなくなりました。病院壕で倒れた学徒たちも時間が経つにつれ、見事に変わった、と言われました。環境に順応するんです、人間が変わるんです。変わらないと生きていけないから」

喜んで戦争に行きました。無知でした。私たちは次世代にこのことを知らせ伝える責任があります。どうか、皆さんも平和を守る勇気を持って下さい、と締めくくられた。

一番心に示されたのは「227名が亡くなった、では実相は伝わらない。そのひとりびとりのことを伝えないと実像は伝えられないと思います。」と言われたこと。そう、ひとりびとりのこと、なんだ。いずれ、中帰連の人たちのこともひとりびとりを紹介していきたいと思っている。

宮城さんは戦後、小学校教諭を務められ、資料館の開館後は証言員として体験を伝えておられるそうです。売り切れだった、宮城さんの著書「ひめゆりの少女 十六歳の戦場」は是非読んでみたい。

閉会後、皆さん一斉に展示会場へ向かって行かれたので、先に常設展示を見学してからゆっくりひめゆりの展示を観た。帰りにホールの玄関に向かうと閑散としたロビーで、ちょうど関係者に見送られ帰られる宮城さんがおられた。貴重な証言を聴かせていただいたお礼を直接お伝えすることができた。ありがとうございました。


続きを読む

[■ ひと・交流]
[■ 平和]
[〓 book]
[イベント]

コメント(全2件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット